私の知らない幸福の味はきっとまだある。



「幸福の味がしない。」
26年間生きてきて、
私は様々な幸福を体験してきた。
- 人生で初めて、
  カブトムシを捕まえたとき。
- 好きなアーティストのライブに
  参加したとき。
- 陸上で県1位になったとき。
- 回らないお寿司を食べたとき。
- 諦めていたことが叶ったとき。
これらの経験は
私にとっての幸福の味だ。
辛さの後の喜びや悲しみの後の嬉しさ、
苦しみからの楽しさなど、
その度に幸福は”辛酸甘苦”で
様々な幸福の味を
この身に運んでくれた。
※「辛酸甘苦」とは、
辛さや楽しみのこと。
経験を積み、世事・人情に
よく通じていることです。
幸福の味は、
数年に一度味わえれば有難い
と思えるほど貴重なお味である。
だがここ数年、私はこの
幸福の味を味わっていない。
いや、
「幸福の味がしなくなった、
感じなくなった。」のだろうか。
かつて味わった幸福の味は
その煌煌とした瞬間を
脳の記憶に”光の筋”として残している。
私が昨今経験することはどれも、
この筋をかすめるばかりで
新しい光を残さない。
子供の時は感じやすかった幸福の味を、
大人になるにつれて、
感じにくくなってきているのかもしれない。
子供の脳のシワを作るのは、
この幸福の味の”光の筋”に
よるものなのだろうか。
「きっとこの先生きていれば
また新しい幸福の味に出会える」と
お得意の未来思考が今回も展開する
私の文字並びだが、
そうは思えない時もある、人生。
「しかし、」と
やはり前向きな逆接を並べよう。
まだ出会っていない
幸福の瞬間がある。
まだみぬ幸福の味がある。
まだ知らぬ煌煌とした光がある。
光に導かれるのが先か、
幸福の味がする方へと、
香りに導かれるのが先かはわからないが、
今日もまたその味を求めて
一日一日を懸命に生きていく。
幸福の味の光の筋が
脳のシワを増やしていく、
シワはシワでも
このシワは大歓迎のシワだ。

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