※「私A」「私B」もどちらも「 私 」です。
私A「それなら私、
たぶん10回は死んでるわ笑」
私B「不謹慎な。
”死んでる”なんて。」
”死”という単語を
容易に口にしないようにしていた私Aが、
”死”と発した私Bに思わず叱責した。
私Aはどうやら
歌詞の影響を受けたらしい。
BTSの「Black Swan」という曲である。
歌詞の中には
こんな哲学的なフレーズがあった。
” 心臓がどきどきしない
これ以上音楽を聴いたって
時間が止まったみたいだ
あぁこれが俺の初めての死なのか ”
自ら作詞を手がけるBTS。
音楽家である彼らにとって
音楽に心を動かされなくなった瞬間が
「自分たちの死」「精神的な死」だと
表現されている。
歌詞はこうも続いた。
「これが(音楽が)
俺をもっと響かせなかったら
俺の胸をもっと震え上がらせなかったら
もしかしたらこうやって
一度死ぬんだろうな多分」
私Aは思い当たる節があった。
大学を卒業して2年。
心が何にも
ときめかなくなった時があった。
今まで好きだったものが、夢が
灰色のごとく色を失った。
「あ、これって”無”だな。」
よく「好きの反対は嫌い」
と聞くけれど、そうじゃなくって
「好きの嫌いは無関心」なんだとわかった。
だって
何に対しても無関心になったのだから。
音楽家でも芸術家でもない
ごくごく一般人の私でさえも
過去に「精神的な死」を迎えていたことに
気づいた。
1回きりじゃなくて、
たぶん10回くらい?
みんなみんな多かれ少なかれ
精神的な死を迎えたことが
一度はあると思う。
仕事での失敗、
うまくいかない人間関係、
夢に対する挫折、失恋。
10回死んだ私は思う。
精神的な死なら
何度死んだっていい。
死んで死んで、
思いっきり死んだらいい。
よくやったよ、
本当によく頑張った。
頑張ったね偉いね。
あなたはすごいよ。
肉体的な死は再生できないけど
精神的な死は再生できる。
身体という殻の中で
何度も心を再生できる。
何度だって。
Black Swanの歌詞は
最後にこう続く。
" 俺の声は聞こえているのか
思うがままにやれ 思うがままにやれ
今俺と一緒に
(中略)
俺がやるべきことはなんなのか
俺のやるべきことは今教えてくれ
今教えてくれ "
私B「心が死んでもいいよ。
また私と一緒に、
一緒に始めたらいい。」
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