裁くのをやめてみる・人・モノ・出来事


自分の身の回りで起きたこと全部、
裁かない。





「裁く」というのは、

自分を基準にして
善悪の判断を下すことです。
卑下して見ることです。




相手を
バカにしたり
見下したり
あざ笑ったり

そうした瞬間に自分は相手を裁く、
裁判のステージに
立っていることになります。



また、裁くというのは
自分に「ダメ」を作る行為でもあります。


「遊んでたらダメ」

「頑張らないとダメ」

「バカにされないようにしないとダメ」


一見、向上心があっていいように
思えますが、実はとても辛いことなのです。




なぜなら
「失敗しちゃいけない」
「強くなきゃいけない」
と自分を縛りつけるから。




裁いた相手のように
自分がなってはいけないため、
どんどん弱さを見せれなくなって
人目が気になりはじめる。

そして自信もなくなってきます。






そんなことを言っている私ですが
実は私も高校生の部活で
同級生を裁いていました。



部活中、
同級生の男子部員が騒がしくて遊んでて
「なんで一生懸命やってくれないの?!」
と思い、ついキツく言っていました。



裁くことと注意すること。
それは「卑下」しているかで
変わってきます。




この時の私は「自分は人を裁いている」
と気付きました。


そして裁くのをやめ、
「相手は相手で一生懸命やってる!」
「相手なりのBestの状態で生きてるんだ」
と肯定できたとき、
心がとても楽になりました。



たとえ自分から見て
一生懸命に見えなくても
悪い一面や真似したくないところがあっても
その相手は相手なりの
Bestな状態でいるんです。



それを
私が咎める(とがめる)ことはできません。




以後、「裁く」から「注意」に
変えたことで相手も理解してくれて
穏やかな部活の時間を
過ごすことができました。








あなたは誰かを裁いてはいませんか?

そして生きづらさを感じてはいませんか?




そうならば、今ここから

裁判のステージを降りてください。


あなたが同じステージに
立つことはありませんよ。




人は人、
自分は自分を見て頑張ればいいんです。





あなたが誰も裁かなければ
あなたもまた誰にも裁かれませんよ。









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余談
MVを見てると「裁く」「善悪」に対する
葛藤を感じます。

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