手放すと楽なもの



- 何かを支持するということは
  同時にまた何かを否定すること。
最近、
この考えがよく
頭に浮かんできます。
否定するつもりはなくても、
自分が何かを選ぶとき、
支持するとき、
対(つい)のものが
陰になっていたりします。
たとえば、
自分が良いと思う考え、
思想であっても
それを人様に強要したら、
それは違いますよね。
自ら陰を
作りにいってしまっています。
また、
「これは良いものだよ」
と伝えることは自由ですが、
「こうすべきだ」という
ニュアンスを伝えてしまったら
それは不自由を与えることになります。
自分が自由で
相手に不自由を与えるのは
どこか違うのではないかな
と思うのです。
自分で選べばいいし、
相手に選ばせてあげたらいい。
相手が選んだ選択肢に
不安があっても、
それは
相手が経験することで
あなた様の課題ではありません。
人様の課題を
あなた様が背負う必要はありません。
「〜すべき」
「〜あるべき」
生きていくなかで
「べき」を手放すと
ずいぶんと楽ですよ。
それは、
あなた様自身に対しても、
人様に対しても。

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