映画のサブスクに向いてない人間と完璧主義



スイカを美味しく
いただける季節になると
自身の幼少期の夏休みを思い出す。
ジブリ作品の
『耳をすませば』が大好きで
毎夏休みレンタルして
観ていたものである。
私の正義感を育ててくれたのは
時代劇『水戸黄門』だが、
純愛思想はこの『耳をすませば』が
持ち込んだのだろうと思う。
今ではサブスクリプションという
ビジネスモデルのおかげで、
店頭に足を運ばなくても
自宅で映画を観ることが出来る。
自宅どころか
ネット回線がある場所ならば
どこでも観ることが出来る。
「なんと素晴らしい
映画のサブスクリプション!」
と思ったのだが、
どうやら私は映画のサブスクには
向かない人間らしい。
”向かない”というのは
映画館以外で
映画を観ることがである。
私は小説が読めない。
じっと静かに本と向き合い
頭の中でストーリーを展開する。
なんて
難しい時間なのだろう。
結論を早く求めてしまう
そんなせっかちな私は
小説が読めないのである。
サブスク映画も小説に似ている。
映画館で得られる迫力無しに
2時間という長い間、
じっと集中して
映画と向き合っていくのだ。
「早送りで観たい。」
「予告で十分満足。」
こうして過去私は、
6本の映画予告を見たにも関わらず、
結局本編は何も見ずに終わった。
少し補足させていただきたいのだが
小説以外の本もきっと読めていない。
(開き直る)
ビジネス書は目次を見て
気になる所だけを読むし、
今は読まないが
漫画も1冊がすぐ終わる。
しかし
機械の説明書と
ポケモンの攻略本は読めた、
気がする。
せっかちなのは
完璧主義が働いているらしい。
自分の中では
ずいぶんとゆるく生きている
つもりだったが、
まだ縛っている部分があるらしい。
何をもって完璧というか?
具体的に表せないくせに
無意識にも完璧を
目指しているのである。
完璧という壁はずいぶんと
窮屈そうだ。
たとえ完璧ではなくても
欠陥人間になるわけではない。
完璧を目指さなければ
ただ在るのみなのだ、
四肢自由な自分が。

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