穢れという真っ黒なもの




「穢れ」って
良いイメージがない。


清潔さ、純粋さを失い
白が黒く侵食されたイメージ。

かつては
死、出産、月経も穢れと
されていたそう、

なんとも不条理である。






そんな穢れにも
差し伸べてあげられる手があるのだが、
穢れは元々「気枯れ」だったらしい。


気枯れとは
気力が足りていないことの意味。


穢れが気枯れと思えば、
すこし穢れへのイメージが
穏やかにならないだろうか?


あぁ、
黒も黒になりたくて
なっていたわけではないと、
すこし気持ち穏やかになる。

黒、
それも真っ黒のイメージ
だったものがすこし、
灰色、白色へと近づいていく、
清浄への一歩のような気がする。



私は今、穢れのイメージが
真っ黒から灰色にかわった。







気が枯れ空っぽになった身に
黒が染みこんで
穢れとなるならば、

気で自らを満たし
善悪を分け、白となれれば
黒をもとり払えるのではないだろうか。

白になる道は長くとも
次第に光はさしてくる。



「白黒分明」

(物事・善悪の区別がついていること)

白と黒を分けたところに必ず
光(明)は在るはずなのだから。





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