文書を書く人は本当に孤独が好きなのか?


小説家
コラムニスト
脚本家
ライター
詩人
エッセイスト
ブロガー






世の中には
文章を書くことを
生業(なりわい)にしている人がいる。






そしてそのほとんどが
独りでおこなう仕事だ。




ひとり



1人



独り






孤独な仕事だと思うだろうか?






私は「孤独な仕事だな」と思っていた。 


ライター、記者や脚本家ならまだ
人とのやりとりが想像できるが、

小説家、詩人、ブロガーは
自分の世界にひとり浮かぶようなところを
想像する。




私もどちらかというと後者にあたる。 
ひとり行動が好きで、
空想にふける時間や
文章を書く時間が好き。



また、
集団に属するのは得意ではないけど
集団をつくることは好きだったりする。




一匹狼といったらカッコイイけれど
そんなたいそうなもんじゃない。




文章を書くひとは一見、
ひとり(孤独)が好きそうにみえる。




だが私は文章を書く人ほど
ひとりが嫌いだと思う。




なぜなら本当にひとりが好きならば
思いのたけは
心にしまっておけるはずだからだ。



なにも多数の人や会ったことのない人に
伝えたり、公表する必要はない。



それにも関わらず
言葉をととのえて文章を書く。




文章、


いや、文(ふみ)を




「文」を書いているのだ。






文書の”文”は「ふみ」と読める。



「ふみ」とは
「文章で書き記したもの」という他に
手紙、書状という意味がある。


恋文(こいぶみ)という言葉があるように
古来日本では、
人々が「文」に思いをたくしてきた。



文筆家とよばれる人たちも
書く内容は物語だったり、
世界観と様々ではあるがきっと多くの人に「文(手紙)」を書いているのだと思う。





"文章は手紙だ"






そして「ひとり」から逃れられる、

 孤独で不器用な人なりの手段だ。






■私の名前には
    「文」という漢字がはいっている。


私は文章を書くことや
手紙を書くことが好きだ。


そして私の文章を読んで。
心から共感してくださる方々もいる。
書いた手紙を喜んでくださる方もいる。




しかし、私はそんな方々全員に
感謝の手紙を書くことはできない、

一人一人に直接お礼を言うこともできない。




できないからこそ私は
これからも文章を書く。





感謝の気持ちを
「文章」という手紙におきかえて。

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