わたしは自分飽きた-続編-




"自分に飽きた"に関する新しい気づき
(どなたかの参考になったらと思います)





自分に飽きた感覚が
この頃強くなっております。


これは、
自分のアイデンティティーを形成してくれた人、環境、モノ、に
飽きたのかもしれないと思いましたが、
きっとそれらが変わっても
"飽きた"感覚が変わることはないと
今は思います。


あ!アイデンティティ田島さんの
野澤さんは大好きですよ!
特に「A・RA・SHI」の替えうた!!!
(ジキジキソウソウ...)

さっそく脱線してすみません汗



なぜ"自分に飽きた"状況に
自分がいるのかと考えてみたら、
ある事が原因だろうな〜と気づきました。





時をさかのぼること2017年。
(3年前かーい!)

その頃から
自分が自分を俯瞰している感覚が
強くなりました!
ゲームの「どうぶつの森」が
わかりやすい例だと思いますが
どうぶつの森の中にいる自分(A)と、
それを見ている自分(B)がいる感じです。

自分(A)がマンボウ釣り上げて‪喜んでるのを‪
自分(B)が良かったね!と思っている。

現実世界と
一線を引いて見てる自分(B)がいるため、
自分(A)が感じる喜びや悲しみを含む体験も、
自分(B)には届いていない、
ゆえにいつも自分(B)は刺激がない。。。


"自分に飽きた"と感じているのは恐らく
自分(B)の感じていることだと考えます。
自分(A)の立場で言うのもなんですが、
それも分からなくもないです。

自分(B)からすると
ゲーム世界を見てる感覚だから、
このゲームいつ終わるのかな?
はやく次のゲームがしたいな
(次はマリオカートがいい!(((o(*゚▽゚*)o))))と思ってるという事になります。
(正直ほんとにマリオカートやりたい)


自分(B)を自分(A)の視点にうつそうとすると、
落下系アトラクション(フリーフォール)
のような体感に感覚上なるため、
うつすのもちょっと苦しさを感じます。
(Gを感じるあのかんGね...)


恐らく"自分飽きた"を治すには
自分(B)を自分(A)に統合することが得策!
ということがわかりました!

が、ちょっと、ちょっとちょっと
今の自分には難しい。なかなかできない^^;

でもいつか!統合できるんじゃないかな〜
とおもっています。






ではでは、最後に一言。

この感覚をテーマにして
小説書けないかな?!?



※いや、たぶん書けない、、
小説ちゃんと読めたことないから...
(自分で自分にツッコミをいれる)


以上、
"自分に飽きた"に関する新しい気づきでした。





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