「らしさ」はそのものを認めるために


足首まであるスカートを履いて、
鏡の前でいわゆる
”ヤンキー座り”をしていた自分に
自分がこう言った。
「女性らしさを求めないでくれ。」
「らしさ」には
そのものにふさわしい様子をしていること、
まさにそのものであると判断される程度
という意味があるらしい。
「らしさ」と付くと
そのものの存在がそのままでも
認められているように感じる。
女性らしさ、男性らしさ。
子供らしさ、大人らしさ。
「らしさ」に自分を当てはめた方が
生きやすいのは社会上のことで、
「自分の心の中はどうだろうか?」
と考える。
「社会の求めるらしさ」に
自分を預けてしまっても
いいのだろうか?
冒頭の自分の言葉はきっと、
自分を「社会のらしさ」に
当てはめないでくれ。
「自分にとってのらしさ」で
居させてほしい。
そのような願いからだったと感じる。
みんなそれぞれの
「らしさ」の中で生きやすいように
生きたらいいと思う。
自分に都合よく
「らしさ」をつけたらいいと思う。
間違いを赤ペンで修正しなくたって、
青でも緑でもオレンジでも
何色でも好きな色で
修正したらいいと思う。
「らしさ」は
そのものを認めるためのものであって
否定するためのものではない。
そんな気がしている。
「らしさ」は認めるために。
何かを否定するために
「らしさ」を用いりたくない。
そう思っている。

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