電車というパーソナルスペースゼロ空間の中に



両隣りが埋まった席を見つけた私は
軽く会釈をして申し訳なさそうに座る。
座った矢先、
なぜか目をつぶって
寝たふりをしてしまう。
もしくは
携帯に興味を移す。
隣の人と触れ合った
ヒジとヒジが物語るのは、
電車内は「パーソナルスペースゼロ空間」
ということ。
「パーソナルスペース」とは
個人の縄張りみたいなもので
このスペースに他人が侵入しようとすると
不快感を覚える。ようになっているらしい。
パーソナルスペースは人それぞれで
他人との間に「1mないと嫌だ」
という人もいれば
「50cmの近さでも平気」という人もいる。
私は電車という空間を不思議に思う。
電車内では
"パーソナルスペース検知センサー"
がバグを起こしている気がするのだ。
よく考えてみよう。
自分が横断歩道で信号待ちをしているとき、
ひじが当たる距離に他人が並んできたら
どう思うだろうか。
「近っ!」
と思う方が大半なのではないだろうか。
して、
これを電車に置き換えてみよう。
するとどうだろうか。
「何も思わない」もしくは
「お互い狭いですね~」と
思うのではないだろうか。
電車に乗りこんだ時点で
人のパーソナルスペースは
ゼロになっているのかもしれない。
電車内。
知らない人が溢れる空間。
知らない人と目的地を共にする空間。
しかし、
何十人もの知らない人のそれぞれが
自分、もしくは自分たちだけの
世界をもっている。
本を読む人。
携帯をさわる人。
お疲れで眠る人。
友人と小声で話す人。
親子で手を繋ぐ人。
カップルで身を寄せ合う人。
決して交わることのない個人の世界線が
1つの車内に張り巡らされている。
今日、電車に乗り込む私もその一人だ。
私だけの世界をもち、
私だけの空気を纏い、
世界線の一本となる。
電車という
パーソナルスペースゼロ空間の中に。







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