東京2020オリンピック -2つのかけられているもの" -




17日間のオリンピックも
まもなく折り返し地点だろうか。
開会式当日の朝、
オリンピックTシャツを購入した私は
この数日間に3回ほど袖を通した。
オリンピックって
誰かが"命と全人生をかける瞬間"が見れる、
貴重な機会だなと思った。
特に今年は。
誰かが命と人生をかける瞬間を
目撃できる側になるなんて、
とても非日常的なことである。
 
各競技、
大きな大会はいくつかあるが
オリンピックほど
国、世界を一つにする大会はないと
私は思った。
2019年末。
体操界の「キング」と呼ばれる
内村航平選手は、
東京オリンピックについて
このように話していた。
「大きな目標が一つ、
東京オリンピックという、
たぶん人生で最大の目標だと思うので。
それを達成できれば
終わってもいいかなと思っていますし。
達成するために体操を
やってきたというか、
生まれてきたと言っても
過言じゃないと思うので。
死んでも出たいっすね。」
私は、
「死んでも行きたい!」
「死んでも実現したい!」
と思えるほど強く打ち込めるものに
出会ったことはない、まだ。
「死」は簡単に口に出せる言葉ではないし、
「死」に向き合うときは
人生の終盤でしかないと
齢24の私は思っている。
内村選手をはじめ
他の競技のオリンピック選手はみな、
この17日間に全人生のすべてを
命を持って「かけて」いるのだろう、
決して妥協することなく、
限界の先を見る覚悟で
挑んでいるのだろうと私は感じた。
このオリンピックの開催期間中に
"かけられているもの"は2つ。
毎分、毎秒、
かけられている。
この"かけ"。
実はいつ私に訪れるかわからない。
もしかしたら明日、
いや今夜にも「かけ」ることになる
かもしれない。
私もひとつの命を。
人生を賭ける。
命を懸ける。
私はこの17日間に、
命と人生の両方を「かけて」いる方々を
応援していきたいと、心から思った。
命を持ってして、
人生を賭けていらっしゃる。
選手方の
嬉しさと悔しさをにじませた涙が
私の心(いのち)を揺さぶる。
⁡ ⁡
今日も、明日も。
この先つづく限り、⁡
その涙が
多くの生きとし生けるものの命を
揺さぶって欲しいと⁡
私は願ってやまない。

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