”エモい”
この言葉、
いい間違えないように、
聞き間違えないようにするのが大事。
一字違うだけで
全然違うムードの言葉になってしまう。
”エモい”
この言葉、
世の中にフッと現れて
水みたいに染み込んでいった。
”エモい”
この言葉あまりにも汎用性が高い。
今では口先が”エモい慣れ”してる。
レトロな街並みを見たら
”エモい”っていう。
古い都会のビルを見たら
”エッモ”っていう。
あいみょんのPVを見たあかつきには
”あいみょん氏は
エモエモ先生ですな”っていう。
多分私、
人前では言ってなくても
心の中でそう言ってる。
何人目かの私の人格がそう言ってる。
(ちょっと”エモい”発言だネ)
こんなに”エモい”に
お世話になっているのに、
私”エモい”のこと何も知らない。
エモいを”モアイ”みたいな
イントネーションで言ってみる。
エモいとは
簡単に言うと「切なさ」「懐かしさ」
「言葉には言い表せない感情」
などを表す際に使われる、
日本で生まれた俗語(スラング)。
主に使われるシチュエーションとしては、
感動を感じた時や感情が
揺さぶられた時など、だそう。
エモいは当人が
「もの悲しさからくる心の揺れ」
を感じた時に使う言葉らしい。
私はなんでエモいを使ってたのだろう?
これほど哲学的ニュアンスを含む言葉を
「もの悲しい、情緒的だから使ってた」
という理由で片付けたくないと思った。
私にとっての”エモい”は240pだ。
YouTubeで画質調整を
されたことのある方はご存知だと思うが、
「240p」とは画質の一種である。
340p
480p
720p
1080p
数字が大きくなるにつれて
画質は良くなっていく。
画質の中でも
240pは画質が悪い、
粗くて見えにくい。
輪郭が曖昧で
ハッキリしない。
その様からは
”センチメンタルさ”すら感じてしまう。
でもその240pの
曖昧でセンチメンタルな様が
「もの悲しい心の揺れ」である
”エモい”に通じているように私は感じた。
対象物がどれだけイマドキで、
鮮やかな光景であっても、
その光景の中にわずかに含まれる
もの悲しさが240pとリンクしあっている、
ゆえに「”エモい”と感じる」と私は思った。
あと10年もしたら
720pも1080pも
エモいの仲間入りするのかな?
あいみょんはどうなるんだろう?
いくとこまで行って、
「エモエモの神」になるのかな?
わからないな、
エモいな。
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