川に架かる橋をわたる時、
私は川に向かって
「携帯電話」を投げてしまいたい
と思う時がある。
川にものを投げるのは
不法投棄になるだろうし、
”携帯電話”という生活の中でも
重要なツールを投げるなんて、
後悔極まれる行為だと思う。
だが、私は時々
「携帯電話を投げたい」と
思ってしまうのだ。
”携帯電話”には
人と連絡をとること
人との思い出の写真
「人との繋がり」が
いっぱい詰まっているように思う。
そんな大切なツールである
”携帯電話”を投げることで私は
何を求めているのだろうか?
私が思うに
繋がりの象徴のような
”携帯電話”を投げることで私は
「誰でもない自分」
になりたいのだと思った。
携帯電話の持ち主である
自分の名前もなくして
人との関係もリセットした
誰でもない”無”の自分。
そして、
無の自分になることで
また「新しい自分が生まれる」
そう思いたいのだと思った。
何かを失えば、
何かを得られるのか
何かを失えば、
何かを得られるほど、
きっとこの世界は都合よくできていない。
「携帯電話を失えば何かが変わる?」
答えのない問いをひっさげ、
今日も私は川を眺める。
そしてまた
いつも来た道を歩き始める。
冷たくなった手を、
ポケットに入れて。
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