このところ左足首の古傷が痛む。
というのも、私の左足首は
小学生の時に一度、
骨折を経験しているからだ。
今から14年ほど前のケガだが、
それはそれは痛い経験で
恐らく私の「痛みランキング」では
堂々の1位になるほどの
ケガだったように思う。
それほど
強い痛みを感じた骨折の傷跡が
今になってすこし痛むのだ。
痛みだした原因については
思い当たる節がある、
「よく正座をしてしまう」
ことが原因だろう。
正座は、
足首の骨折を経験している
私にとっては
よくない姿勢になるのだそう。
しかし
楽な体勢のためつい、してしまう。
私は無意識のうちに
身体の古傷を痛めていたのだが、
これって心の古傷でも
あり得るのかな?と思った。
無意識にのうちに
痛めてしまう「心の古傷」
まず、
心の傷はいつできるのだろうか?
それはきっと、
人から嫌なことを言われたとき、
されたときだと思う。
また、
自分で自分を追い詰めて
傷つけたときも
当てはまるかもしれない。
そうしてできた傷が
古傷となって心に残る。
残った古傷は、
傷を引き起こした時と近い
痛みを感じた時、再び痛むのだろうか。
「かわいそうに、
絆創膏をはってあげたい」
と私。
だが心に絆創膏を
はることはできない。
ではどうすれば
心の古傷を
処置してあげられるのだろうか?
これはあくまでも私の考えだが、
心の古傷が痛みだした時、
「傷ができた時のことを思い出す」こと。
思い出して、
「傷口にたまった悲しみ、
受けた痛みを流しきること」だと考える。
流しきる方法は、
自分に対して
「辛かったね。よく頑張ったね」
と寄り添ってあげることで
可能になると思う。
きっと
流しきれてない痛みという
膿や悲しみが
心の古傷を痛めているのだと、
私は思う。
「心の古傷」
誰だって
過去に受けた痛みや悲しみを
抱えたまま生きている。
もしかしたらこの先、
新たな傷が
できてしまうかもしれない。
古傷が痛むかもしれない。
痛みは無視したいものだが、
そんなときこそ
自分で自分に寄り添って
痛みの原因を取り除いて
あげたいものである。
それがきっと、
一番の治癒になると信じて。
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