書くことが好きなのに私は小説が読めない


私は小説が読めない。


のだが、
「1冊読みきってみたい!」
という好奇心はある。



だから友人に
オススメの小説を聞く。


「ほうほう、これなら読めそ・・・」
とページをめくるのだが
大体、3ページで閉じてしまう。


「今回も読めなかった」




私は文章を書くことが
好きなのに、小説が読めない。


ここ数年、
小説を読んだことも買ったことも、
読みきれたこともない。

書店の小説コーナーは
スルーしてしまう。



なぜ私は小説が読めないのだろうか?




思い当たる節が3つある。


1つ目は、

頭の中で物語が展開できないから


小説好きな方はきっと
主人公・登場人物・景色・感情
を自分劇場として頭に
思い浮かべることができるのだと思う。

私はできない。

登場人物が混ざる。

読めなくなって、じれったくなって
「もういいやーい」と本を閉じる。



2つ目は、

文が長いから


これは致命的である、私が。
人間として致命的である。


この頃、長文が読めない。

読むのが面倒になっている。


はたまた小説は
明朝体で書かれているものが多く
「お堅い」文章と捉えてしまい
さらに読めないでいる。


ポップ体や丸ゴシックの
小説があれば読めるかもしれない。



3つ目は、

行間が狭いから


私の文章をふだんから
読んでくださってる方は
お気づきかもしれないが

私の文章は行間が広い。

長くて3〜4行で
次の段にうつる。


これは長文つづきだと
私自身の書く気が失せてしまうからだ。 


に対して小説は
文章が横に行列をつくっている。

5行以上つづく文章がザラである。


「並べない、、、
私はその行列(本)に
並べない(読めない)のだ。」





そもそも
長文が読めないなんて、
現代病だろうか?


しかし、ここで
私の困窮した言い訳を
お聞きいただきたい。



私は考えることが好きだ。


日常の中で
小さなテーマを見つけては
木が枝分かれするように
思考をめぐらせる。


「仕事中毒」を
「ワーカーホリック」というが

「思考中毒」の
「シンクホリック」ではないか?
と思う。


シンクホリックは
短時間で多くの情報を
取得したいと思うため
情報取得の「効率性」を重視する。

ゆえに
長文が苦手な人が多いのだ。


「シンカホリックのため
小説が読めない」という言い訳、

これは一番
様(サマ)になっていると思う。


「どの理由よりも格好がつく!」
と思いたい。







ふぅ。

そろそろこのテーマで
書くことに飽きてきた。


自分が読み手だったら
これ以上はもうお腹いっぱいだ。
(読みたくないの遠まわしの言い方)


この投稿が私のように
小説が読めない人の
お役に立ったら嬉しいと思うが、

小説が読めない人は
珍獣なみの珍さだと思う。


ガラスケースに入れられて
人前に展示されて
指をさされててもおかしくないほどの
アウェイ感すら感じる。

というのは考えすぎで、
また私の悪い癖だ。





またこのテーマについて
考えてみたいと思う。


そのために私はこれから先も
小説は読まない。
(誤:読めない)

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