恋が忘れることだとしたら愛は覚えていくことだ




恋が忘れることだとしたら
愛は覚えていくことだ





恋は盲目とよく言う。


恋をすると相手のことしか見えなくなって、
生活に支障をきたしたり、
周りに迷惑をかけてしまう。


我を忘れている。





自分の存在が見えていないのが恋。
そして周りも見えていないのが恋。





に対して
「愛は覚えていくこと」


それは
どういうことか?





◼︎相手を思う気持ちを覚えていく
◼︎自分と相手の関係を

   育む過程を覚えていく

◼︎相手の幸せを願うことを覚えていく
◼︎相手に見返りを求めず

   与えることを覚えていく




覚えるというのは
忘れないということでもある。


愛は決して忘れたりはしない。

自分も、相手も。






これらすべての「覚えていく」は
自分の目が覚めていないとできない。


また、
「覚える」「覚める」は同じ漢字である。
盲目の状況とはちがい、
目が覚めていることが分かる。





自分の存在を認識し、
目が覚めているからこそ
覚えることができる。




恋のように自分の存在がわからず
何も覚えようとしない「盲目」の状況では
決してできないのだ。



とすると、
愛は学習能力が高いのかもしれない。
学ぶこともまた愛にとっては
相手のためなのである。






◼︎恋と愛について

   こんな偉人の名言がある。




「愛というのは
お互いに見つめ合うことではなくて、
一緒に同じ方向を見ることなんだ」



「星の王子様」で有名なフランスの作家、
サン=テグジュペリの名言だ。

恋のように盲目で相手ばかり見ていたら、
二人とも思わぬ落とし穴に
落ちてしまう可能性がある。




しかし、
愛のようにお互いがフォローしあいながら
同じ方向を見据えて歩けば
危険を回避できるだけではなく、
未来のイメージを共有することができる。


愛を持つ者どうし、
目が覚めているからこそ
絆を育めるのだ。





■恋愛においてはほとんどの場合が
    恋から始まる。



恋という漢字には下に心がある。
愛という漢字の中心にもまた心がある。




生まれたばかりの恋という心は
下からだんだん成長して
やがて真ん中の心臓部分に達する、


人が感じる上で1番大切な場所だ。





恋の心が育つと愛になる。
恋はやがて愛になる。




そのためにも
盲目の状況から目を覚まし、
愛を覚えていきたいものである。



焦らず、それぞれのペースで。


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