第3者は第2者だとおもう


.第3者はナゼ”第3者”なのか?
私が第2者だと考える理由


※である調で話を進めます、ご了承ください🙇‍♂️



私たちは物事を考えるときによく、
「第3者目線で考えなさい」と言われるが、
なぜ第3者なのか?3人目、4人目以降も「第3者」というが 第1者、第2者は存在するのかと疑問を持った。
調べてみると第1者、第2者は存在しないが、「第1者は自分・第2者は相手第3者は当事者じゃない人」としての概念があることを知った。
しかし私は、単に1、2、3・・で数えてみたときの
第3者ではなく精神上で考えた場合なら、第3者ではなく、概念は第2者になるのではないかと考えた。



その理由をケンカを例に説明していく。


人がケンカを起こすとき、
人は相手がいないとケンカが始まらない。
この、「始まらない」というのは数字の0の性質であると言える。0は無であり、何も始まらない。
スイッチでいうところの「OFF」だ。
かわって1は始まりを表す数字で、
スイッチでいう「 ON」だ。
この0に1が加わることでケンカが起きると考える。 そこに仲裁役の2がくる。2という数字は偶数でわりきることができる。割ると1と1になる。
2の人から見た0の人との関係は0と1
2の人から見た1の人との関係もまた0と1
2という数字は「善と悪」「陽と陰」という対になるものが両方存在し、それらが合わさることで1つの2という数字になる。全てを包み込み、調和や統合を表す数字だ。

0と1それぞれの正義の肩を持ち、統合・包容する力が2にあると考えると、仲裁役にはピッタリだと思えないだろうか?

「0は無の性質・1は始まりの性質・2は包容する性質」から考えてみても持つべき客観性は第3者ではなく、第2者と考えることはできないだろうか?(精神概念上)

もう1つ、企画を例を挙げて考えてみる。
会議であなたの企画を上司が「もっと第3者目線で考えてみて!」と言ったとき、企画を考えたあなたは1の性質のように思えるが、企画を見てもらう相手がいなければスイッチがOFFの0なのである。他者が加わることで、企画のスイッチが ONされ1になることを考えると、上司が言う「第3者目線」ではなくそれは「第2者目線」と考えることはできないだろうか?

と、ここまでで私が言いたいことはなんとなくお分りいただけただろうか?🥺🥺


人は1人でも自分の考えを客観視することができる、その際その場には事実上1人しかいないかもしれないが、自分は0の性質を持っているのだと思っていただければ今回私がお話しした第2者の概念がおわかり頂けると思う。
第3者が第2者という考え方で何かが大きく変わることはないが、私は2という数字が豊かで調和的であることを知った。自分の名前「ふみか」に「ふ(2)」がある以上、2の性質のような人を目指していきたいものである。







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