死とは境界線がなくなること



今日は死についての
お話ですが決して暗いお話ではなく
仕組みとしての死のお話ですので😳
ご無理のない方は
お付き合い頂けましたらと思います〜
☺️🪽🤍
🍀絵文字・顔文字
省略させて頂きます🥹🩵
冷たい印象になってしまいましたら
申し訳ございません😭🍀
「死」って
今まであった境界線や
隔たりがなくなること
なのですよね
だから死に対しての恐怖がある方は
今まで当たり前にあった境界線(肉体)の
終わりに恐怖を感じてらっしゃいます
ですが私たちはもともと
境界線のないところに居て、
わざわざエネルギーを落として
肉体を持って人として
生まれてきますよね〜
そして人が集まる様を
「人間(人と人の間)」と言います
私たちは境界線という
肉体があるからこそ
リアルに感じることができます
肉体がなければ
実感というものが
なくなってしまいます
良くも悪くも
「感じること」は肉体が
「受け取った結果」で
受け取らなければ喜びも悲しみも
感じることができません
でもせっかく受け取るなら
喜びや嬉しさ楽しさを
肉体に受け取らせて
あげたいですよね〜!!
人間はわざわざ隔たりをつくって
その中で他者や外界に尊厳を持ち、
「自分と自分以外を感じたい!」と
思って生まれてきています
それは肉体のない世界では
「孤独」がわからないからです
孤独というのは
肉体を持つもの特有の
感情でございますね
私たちは境界線があるからこそ
感じられる「孤独」を
わざわざ味わっています
そうしますと
「死は孤独(境界線)からの卒業」
「死は”感じたい!”という
欲からの卒業」であると言えますね
事実、自ら死を選ぶ方は
最後は人も何もかも
求めなくなられますよね
孤独(境界線)がなくなることを
受容されてしまうのですね
私たちは元々生まれた時から
酸素や父母、何かを泣いて求めて
生まれてきます
境界線を感じた瞬間から
「生」はスタートし孤独と共存し、
孤独(空っぽ)と対局の生・モノなど
常に何か満たされるものを求めて
孤独から卒業しないように、
生きていきます
境界線が、肉体が、
感じる力があるように、
私たちは今日も
境界線の中を生きています
あなた様がいる、
あなた様がいてくださることは
「私が生きている」証です。
そんなあなた様に感謝を込めて、
今日もありがとうございます🌸

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