涙は泣く機会を探している



「また泣いちゃったよう。」
自分でも驚く。
涙腺がゆるいなんてものじゃない。
特に夕方の散歩にはめっぽう弱くて、
3回ほど涙がこみ上げてくることがある。
今日は
川沿いで釣りをしていたおじさんが
大きな鯉を釣り上げていて
涙がこみ上げてきた。
かと思えば
家の前で正月飾りの花を生けていた
おじさんの感性の美しさに
涙がこみ上げてきた。
「そろそろ私の涙腺を
休ませてくれよう。」
と思った矢先、
夕焼けの空の色の温かさに、
はぁ、そうだ。
展開はお分かりだろう。
涙がこみ上げてきた。
3度目ともなると
涙腺の栓の締まりが良くないのか、
危うく大泣きしそうな勢いだった。
冒頭の
「また泣いちゃったよう。」
である。
”なぜ自分はこれほどにも
泣ける人間なのだろうか。”
散歩からの帰り道、
涙を乾かしながら考えた。
涙には痛みを軽減する作用があると
聞いたことがある。
私はこのことを知ってから、
自分が泣いているときに
「これは感情の涙なのか
それとも
痛みを抜くための、
言わば毒出しの涙なのか」
考えながら泣くようになった。
冷静に考えながら泣いているのだ、
すこしシュールである。
考えた結果、
私の涙の多くは「痛み出し(毒出し)の涙」
のような気がした。
日々、
自分でも気づかなかった
心の痛みを流すために
泣く機会を探していたのだと思った。
それが今回のような散歩で
一気に発散されたというわけだ。
泣くという行為は
感情が動かされて泣くのはもちろんだが
見えない心の傷口の血が透明になって
流れていっているのかもしれない。
涙は泣く機会を探している。
心の痛みは
カラダのご主人様しか
流してやれないのだ。
#写真は私が3回目に泣かされた空です
#私が川沿いで泣いていてもそっとしてください
#空を見上げて涙をこらえた自分に思わずこりゃなんかのミュージックビデオの撮影かと思いました
#いつまでもちゃんと泣ける人間でいたい

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