本当の価値はまだ”価値”になっていないと思う





価値ってなんだろう?

価値って誰が決めたんだろう?

価値っていつ生まれるんだろう?


価値って?




カチカチカチカチ・・・



私の頭の中で
価値に対する疑問が石となって
ぶつかり合っている。

今まで様々な言葉を
自分なりに解釈してきたが
今回の”価値”という言葉は難解だ。



私は頭を悩ませながらも
価値について分かっていることが
一つある。

それは
「世の中の価値はすでに
誰かにつけられた価値である」
ということだ。


「これは価値があるよ」
と言って教えられたものはすでに
世の中の誰かによってつけられた価値だ。


しかしこれを”価値の本質”
と言っていいのだろうか?

いや、なにか違う気がする。
「本当の価値は
まだ”価値”になっていないと思う」


そう思った私は、
価値の本質をこのように考える。


・自分で何が”価値”になるか知ること


・知った”価値”のなかに
    可能性を見いだすこと



私はこの2つが
価値の本質なのではないかと考える。





はじめから
”価値”が存在するのではない。

自分が”価値となる元のタネ”をうけとって
その対象物の何に価値を見いだそうか?
とあらゆる面から知る。

そして知りつくし、
可能性を見つけることで
はじめて”価値”になると考える。


自分が見いだした”価値”は
それはそれはキラキラと美しく
特別なもの、

”唯一無二の価値”

になるのではないだろうか?

それこそに一番の”価値”があると
私は思う。







そしてもう一つ、
注目していただきたいことがある。

”何が価値になるか知ること”の
「何」という漢字。

「何」という漢字は
「イ(にんべん)」に「可能性の"可”」と書く。


人が”何”について考えているとき、
人は可能性を見いだそうとしているのでは
ないだろうか?


そしてその先に
可能性を見つける。
可能性を知る。


どんなことでも良い、
自分自身が”何”かについて問うとき。

「自分とは何か?」 を問うとき
「自分は何ができるか?」を問うとき
そして、
「何をして生きていくか?」を問うとき

きっとあなたは”何”を通して
 ”可能性”を見つけようとしている。







”価値の本質”とは

自分で何が”価値”になるか知ること 
知った”価値”のなかに可能性を見いだすこと




”価値”はある。
まちがいなく存在する。



あなたが”何”を通して考えたとき
そこに”価値”は存在する、


可能性と共に。






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