私は「人間の亜種」になりたい




「亜種っていいな」



私は期間限定メニューに
惹かれるときのような好奇心でそう思った。


亜種とは、

「種」をさらに細かくわけた分類のことで
住む地域の気候や、生息環境によって
カラダや習性に違いが見られる。

また、
種と亜種を分ける明確な基準はなく
種として独立させるほど大きくはないが、
変種とするには"違いの多い生物"に
つかわれる言葉だ。



同じ種だけど違っている。

そう思ったときに私は
「人種」のことが頭に浮かんだ。

私たちは人間という種であるが
「人種」は亜種なのか?




答えは

「人種は亜種ではない」


ホモサピエンス(人間)
という種の中の「地方種」で
地域による違いが人種だそう。

となれば
人間の亜種は存在しない。

しかし他の生き物のなかには
「亜種」として認められているものが
何百といる。



「私は"人間の亜種”になりたいな」

と思った。




◼︎「人間の亜種ってなんだろう?」


そういえば、
私は亜種から一種の抵抗を感じた。

種として決められた設計通りに
生きるのではなく
自分は自分だと個を主張している。


私が考える”人間の亜種”とは

「人間であることを受け入れないこと」

だと思った。


私は人間として労働するし、
公共施設や医療機関もありがたく
利用させていただいている。

こうして日本語を打つこともできる。

それは人間として教育を
受けさせていただいたゆえの結果だ。



しかし私は
自分の ”人間”というカテゴライズに
違和感を持っている。

これに深い意味はない。
要は、人と一緒が嫌ということ。

「人間」と一括りにまとめられ
「典型的なタイプ」「普通」
とされるのを避けているのだと思う。



だから周りの人から

「変わってるよね」
「宇宙人みたい」

と言われることに喜びを感じる。


”人と違っていたい”


それも、少しじゃなくて
思い切り違っていたい。

180°真反対(まはんたい)、
ウェルカムである。



そう思う私だから

「ハミ出した人間」=「人間の亜種」

になりたいのだと思った。


私は、
身体的特徴が変わっているわけでも
習性が違うわけでもないのだが

この
「一括りにされることへの抵抗」や
「個を主張する」ことだけは
「人間の亜種の特徴」として
身につけていたいと思っている。




自分を型に落とし込んでも
何もおもしろくない。



大きく大きく、

生きていかないか?




■後記

この文章を口頭で母に説明したら
母は「亜種」のことを
「アッシュ(ヘアスタイル)」と勘違い。

しばらくそのまま
話が進んでいました。


まるで
亜ンジャッ種さん(お笑い芸人)の
勘違いネタみたいに!



違うよ!!
アンジャッシュだよ!!
(大島さんのツッコミ)


違う違う違う!
児嶋だよ!!!

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